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2003年6月23日

 ソフトバンク社が発行していた「Oh!PC」1983年3月号です。NECのパソコンの専門誌です。ちょうど新機種としてPC−8001mk2が紹介されています。すごく懐かしいパソコンです。当時私はまだパソコンを所有しておらず、あこがれの的でした。しかし他のライバルメーカーにもいろいろと魅力的なものがあり、迷いに迷っていた時期に発売された機種でした。このパソコンにより私のパソコン熱も上がりました。そしてパソコン所有への願望が日に日に高まっていきました。

 パソコンそのものへの憧れもありましたが、こういった雑誌に掲載される数々のアマチュアプログラマーが作るソフトウェアのプログラムリストも自分の知的好奇心を刺激しました。自分でもこんなすごいプログラムを作ってみたいという、いわば夢ですね。そんな夢を感じさせてくれるのがパソコンでした。

 中央の写真は目次ページですが、発売されたばかりの16ビットコンピュータ9801も紹介されています。PC8001用のリズムコード生成プログラムや時間割編成プログラムのページもあります。かなりのステップ数のベーシックのプログラムですが、ページをめくるごとに夢をかき立てられました。その他COMDEX/FALL82というパソコン関係の見本市のようなアメリカの催し物が紹介されています。当時のアメリカにおけるパーソナルコンピュータの興隆がうかがわれます。日本はまだまだ黎明期でした。

 右ページはPC8001mk2の紹介記事で、正面、横、後ろ、そして中の構造とかなり詳しくこの新機種の紹介がされています。

2003年5月29日

 電波新聞社が出版していた「マイコンBASICマガジン」の1983年8月号です。定価300円ですから安い雑誌でした。内容はほとんどがベーシックで作られたゲームのプログラムリストです。行番号が懐かしいです。プログラミング環境をc言語に移行したときに、この行番号が無くなったことですごくすっきりしたのですが、最初はとまどいましたね。

 中央の広告はシャープのMZ機のものですが、右側に当時のテレビ番組、パソコンサンデーが紹介されていて、大和田獏、斉藤とも子、ドクターパソコンこと宮永好道、各氏の顔が見えます。北海道は日曜日の夜中に放映されていて月曜日からの仕事を憂鬱に思いながら見ていたような・・・。

 右側の写真はNECのディスプレイが各種紹介されています。モノクロディスプレイ、グリーンディスプレイ、カラーディスプレイとずいぶんたくさんの種類があります。カラーはあこがれでしたが、12型で59,800円もしています。

2003年5月22日

 前回と同じ「マイコン」1983年8月号です。左はソニーのコンピュータです。ソニーはMSXだけかなと思っていましたが、CP/Mマシンを出していました。ソニーが独自に供給する機能が拡張されたCP/Mだったようです。228,000円という値段でした。ソフトウェアはライフボード、ビーユージーなどが扱っているとのクレジットがありますが、これらのメーカーは現在大きな会社になっています。この後、ソニーはパソコンから撤退することになりますが、まさかバイオシリーズでまた復活するとは想像もしませんでした。

 それにしてもこの当時の雑誌にはCP/Mの名前がほとんどで、MS-DOSは見つけるのがたいへんなほどです。この後デジタル・リサーチ社はマイクロソフト社に負けるわけですが、負けると言ってもほとんど戦わずにして負けたようなもので、もったいないことをしました。実際、CP/Mの方がMS-DOSよりも進んでいたOSだと読んだことがあります。ビジネスチャンスに上手に乗っかったマイクロソフト社ビル・ゲイツ氏の商才はすごいものだとあらためて思います。

 中央はセガのパソコンの広告ですが、なんと「とんねるず」ではないですか!実に若いです。セガのパソコンも無くなりましたが、なかなか面白いパソコンを作っていました。

 右はI・O DATAの広告です。この当時からパソコン関連機器を出していたのですね。256キロのRAMボードが88,000円です。今では全く考えられない容量と値段です。その他8インチ2ドライブのFDDユニットも出しているのですが、これも219,000円です。しかしメーカー純正のものに比べればかなり安価な値段設定だったと思います。

2003年5月19日

 電波新聞社が出していた「マイコン」1983年の8月号です。半分以上が広告で分厚くて重い雑誌でした。当時「アスキー」なども同様に広告が主でかなりの厚さと重さを持っていました。しかしこの広告がけっこう楽しかったり、また貴重な情報源になったりしたものでした。「マイコン」の中身はベーシックのリスト、マシン語のリストが多く、当時の小中高生たちは忍耐強くこのリストを打ち込んでいたのだろうと思います。

 私もMZのSベーシックで書かれたリストを打ち込んだこともありましたが、細かい活字で間違いなく打つのは至難のわざでした。特にマシン語にリンクするリストの場合は(POKEコマンドのような)セーブしないで実行したりするものなら、止まらなくなってしまい悲惨な目にあうのでした。しかしきれいなグラフィックを描かせたりするのは非常にワクワクするものがありました。これがコンピュータだと思わせるものでした。

 中央の写真は武田鉄矢が宣伝するNECのPC6001mkUです。ボイスシンセサイザを内蔵していること、1024文字の漢字ROMを内蔵していること、ドット単位で4色ないしは15色(解像度によって)のカラー指定ができること、RAM64キロバイトを内蔵していることなどが宣伝文句になっています。今から考えると本当におもちゃのような、(おもちゃ以下か)パソコンですが、当時はうーんすごいと唸ったものです。

 右は東芝のパソピア7で横山やすし親子が宣伝していたものです。この当時はどのメーカーもサウンド機能の充実が一つのポイントだったようです。本体価格は119,800円です。別売りでディスプレイがカラーで98,000円、記憶装置のRAMパックがたった32キロで39,000円です。当時はOSという考え方はホームユースのコンピュータでは無かったと思いますが、CP/Mシステムが34,000円でオプションとして用意されていました。MSDOSの名前はまだ出てきていませんが、IBMがこのOSを採用するのはもう少し後だったのでしょうか。

2003年5月14日

 前回と同じ月刊「RAM」の1983年2月号の中の広告です。左はシャープのMZシリーズが出ています。MZ2000はカセットデッキとディスプレイが一体となったオールインワンのパソコンでした。なかなか秀逸なデザインだったと思います。Z80Aの4MHzを1個搭載しています。値段が218,000円でした。MZ3500の方はZ80Aを2個搭載していてフロッピーディスクドライブ2個搭載機で410,000円でした。このあとMZ2200が出ることになり、いよいよ購入を決心しました。

 中央はエプソンのプリンタとフロッピーディスクドライブです。ドットインパクトプリンタで210,000円もしています。「プリンタはエプソン」というコピーが見えます。右のディスクドライブも5インチ2基で142,000円もしています。ずいぶん高価なものだったと思います。エプソンは今ではプリンタメーカーとして確固たる地位を築いていますが、当時はハンドヘルドコンピュータという携帯コンピュータを出しており、この少し後から本格的にNEC互換パソコンメーカーとして台頭してきます。

 右の写真はカシオのコンピュータです。性能の割にはずいぶん安くて、しかも本体とキーボードも別になっていて、何となく本格的なパソコンという感じで、こちらにしようかなと思ったこともありました。ただパソコンメーカーとしてのネームバリューが今ひとつだったので、結局MZに落ち着きました。

2003年5月9日

 廣済堂出版というところで出していた月刊「RAM」の1983年2月号です。教員生活4年目を迎える年でした。ちょうど初めての3年生の担任を持つ年でした。この雑誌は結局一冊しか購入しなかったと思いますが、その一冊が幸運にもというか、たまたま残っていました。この当時の雑誌は中の記事ももちろん興味深いのですが、広告がとても懐かしくて記事以上に興味がわきます。

 中央の写真は裏表紙で、富士通のFM7ですが、タモリが登場しています。このFM7も当時名器でたいへん購買心をそそられました。ただキーボードがゴツゴツした印象で、自分にとってはもっとスマートなものがいいなと思ったのを覚えています。もちろん当時は実物を見ることもできず、こういった雑誌の広告が情報源でした。

 中のページを見ると東芝の「パソピア」の写真がありました。ホームユースでは8ビットパソコンが主流の中、16ビットのパソコンというふれこみでしたが、ソフトの流通量がネックになっていたと思います。NECにはかなわなかったのです。この雑誌もそうですが、表紙の次がNECの広告で4ページにわたっています。広告の量が圧倒的に多かったように思います。戦略的にはパソコンの発売前にソフトハウスに仕様などを公開してソフトを作らせ、ソフトがある程度そろったところで発売するということがシェアを圧倒的なものにしたのだと思います。

2003年5月6日

 日本ソフトバンクから出版されていたMZ、Xシリーズの専門誌「Oh!MZ」の1983年8月号です。MZ2200を購入して以来毎月購入し職場に届けてもらいました。懐かしい雑誌で捨てられずに今までとってありました。この号の表紙に描かれ、最初のページに広告として載っているのがMZ2200です。このMZによって私のコンピュータに関わる生活が始まり、プログラミングもこの機種に始まりました。ソフトは高くて買えずシャープベーシックでプログラミングすることしか使いようがなかったのです。ただこの雑誌でも紹介されている「ロゴ」というプログラミング言語を、購入した電気屋さんがサービスしてくれ、少しだけ遊んだ記憶があります。右側の写真はパソコンテレビX1の広告です。テレビも見られるパソコンでした。

 各写真をクリックすると大きな画像で見ることができます。 



2003年5月4日

 1982年に始まったNHK趣味講座「マイコン入門」の前期テキストです。司会が須磨佳津江アナウンサーでした。私はまだコンピュータを所有しておらず、このテキストを何回も読みながらベーシックによるプログラミングを勉強したことを覚えています。番組そのものはほとんど見ていないのですが、中で使われていた「機種X」(そう表現されている)はNECのPC8001でした。テキストの巻末にキーボードが実物大で印刷されていて、切り張りしてキーボードを完成させ、キーの位置を確かめることができるようになっています。

  裏表紙はシャープのMZ-80Bです。標準価格が278,000円でした。ディスプレイ、データレコーダ付きですが、他のメーカーに比べても少しばかり高い印象でした。PC8001は本体だけで168,000円でした。このMZは非常に洗練されたデザインで当時もっとも欲しいパソコンでしたが、ソフトウェアの流通量でPC8001にはるかに及ばず、大いに迷いました。CPUはザイログ社のZ80Aでクロックは4MHzでした。このあと、MZ2000そしてMZ2200と続いて発売されました。

  各写真をクリックすると大きな画像で見ることができます。 


2003年5月2日

 月刊「ソフト情報」11月号の広告ページです。左写真のマイコンセンターは池袋にあったパソコンショップだったようです。いろいろなメーカーのパソコンがセットで紹介されています。今気づきましたがシャープのMZ2200にはカセットデータレコーダの他に5インチのフロッピードライブもあったのですね。東芝のパソピア7や富士通のFM7も見えます。FM7もいいパソコンだったように記憶しています。タモリが宣伝していました。NECのPC8001mkUはカラーディスプレイ、データレコーダ、ソフト10本で190,000円となっています。MZ2200はカラーディスプレイもあったのですが、私の購入したのはグリーンディスプレイ付きのものでした。本当はカラーなのに緑色か〜なんて、悔しい思いもしていました。その気持ちが原動力になって、あまり色を使う必要のない成績処理のプログラミングに挑戦していたのだと思います。

 右写真は管理工学研究所の「日本語ワードプロセッサ」の広告です。文節変換のできるワープロということで説明されています。8インチディスク版で120,000円となっていますが、個人ではなかなか手に入れることのできない値段でした。このあと「松」と名前を変えて進化していきましたが、値段も下がっていきました。私のMZ2200はプリンターもなかったのでワープロとしては使用していませんでした。だいぶん後になって私が購入したワープロソフトはPC8801FR用の「ユーカラ」というもので28,000円という当時としても破格の安さのソフトでした。東海クリエイトという会社が販売していてかなり売れたソフトだったと思います。東海クリエイトはかなり前にクレオと名前を変えて、現在「筆まめ」などのソフトを販売していますね。

 写真をクリックすると大きな写真になります。


2003年5月1日

 また月刊「ソフト情報」の紹介です。1983年11月号です。MSXパソコンが発売されたのがこの年でした。またNECのパソコンもPC8001,8801,9801、そして6001などもまだラインアップにあった年です。当時は8001mkUとシャープのMZ2200のどちらにしようか迷っていた時期でした。このような雑誌でいろいろと研究したのですが、最後の決め手はデザインでした。あのMZは本当にかっこが良かったです。ソフトは圧倒的にNECの方が多かったのですが、あのかっこいいデザインに惹かれてMZを買ってしまいました。この機種によって私のパソコンとのつきあいが始まりました。

 写真をクリックすると大きな写真になりますが、NECの7機種のパソコン、すごく懐かしいです。特に8001mkUは購入する寸前まで行きましたからね。123,000円という当時としても手の届くパソコンでした。


2003年4月30日

 今から20年前の月刊「ソフト情報」という雑誌です。中を見ると簡易言語なるソフトウェアの名前が出てきます。比較記事もありますが、業務に合わせて自分でプログラミングしながら使用するというものです。16ビットコンピュータが出だした頃でしょうか。9801や東芝のパソピアなんていうコンピュータも広告に載っています。右の写真の右ページ広告は「和漢」などという日本語ワードプロセッサーのものです。左ページにはJWORDという名前も見えますが、一太郎の前身かなと思いましたが、調べてみるとエイセルという会社のCP/M上で動くワープロソフトでした。この会社は今でも活躍しているようです。1983年当時、私はまだ根室にいましたが、釧路の本屋さんに行ってはこのようなパソコン雑誌を購入していました。
2003年4月29日

 電源タップ(6N-OCB1)の写真です。オヤイデ電気というオーディオケーブルなどを扱っているところから今年のお正月にインターネットで購入しました。各機器の極性を合わせて聴いていますが、音がとてもなめらかです。試しに根本のコンセントの極性を逆にしてみたら、さらに聴きやすい音になりました。静かな夜に聴くにはこの方がいいようです。特にボーカルはなめらかに滑るようでとてもグッドです。

 レコードラックの上に載せているのでコードが曲がり、ストレスがかかっているのが気になりますが、以前横にしたところ音がフワフワした感じになったので、この置き方に戻しました。右にちょっと見えるのがデンオン(現デノン)のレコードプレーヤーDP900mark2です。左に見えるのは自作のCDラックです。












2003年4月28日

 納戸から引っ張り出したエプソンの「286BOOK」というブック型のパソコンです。1990年8月の購入です。当時は東芝のダイナブック(レーサーの鈴木あぐりが宣伝していたもの)や、NECの98ノート(大江千里が宣伝していたもの)が全盛でしたが、フロッピーディスクドライブが2台ついていて、ほとんどデスクトップを小型にしたようなこの機種にあこがれ購入しました。そういえば宣伝はレーサーの中嶋悟だったと思います。大西ジムで21万円だったかな・・。

 ディスプレイが小さくて見にくくもあったのですが、B5の文書を作るとちょうどWYSIWYGの世界が実現していました。^^;液晶はもちろんカラーではなく白黒です。その後すぐに長崎屋のサン電気で特売で売っていた三菱のディスプレイを購入しカラーの美しさにうっとりしたものです。前回の写真にあるディスプレイです。

 このパソコンのために初めて買ったアプリがvzエディターでした。これは地元のパソコンショップで確か9800円で買いました。ほとんど定価でしたが、一太郎が58000円もしていた時代ですから安さに惹かれて購入したのでした。このエディターで今も続いている日記を書き始めましたが、非常に軽快なエディターでいろいろとカスタマイズでき、文書の作成はとても楽でした。今でもあの軽快さは忘れられません。

 ただ、フロッピーベースでの運用でしたので、漢字変換が遅く、キャッシュが効き始めても、そのころには文書作成も終わりに近いという状況で、対策が必要でした。そこで当然メモリの購入ということになります。ラムディスクとしてアプリを全部入れてしまうという・・・。メルコのメモリで2メガで36000円でした。今では考えられない値段です。

 しかし、このメモリの威力はすさまじいものでした。ディスクのアクセス音なしで文書が打てる快感、最初の起動時にアプリや辞書を読み込ませるのですが、その作業が過ぎると静寂の世界・・・この読み込ませるという動作はシャープのMZ2200の世界と同じで懐かしいものでした。MZはカセットテープからでしたが。
2003年4月26日

  納戸に片付けられたNECのパソコンです。PC98−DA-U2という型番で、1991年5月に買ったパソコンです。DOS版英語学習ソフトの開発はこのパソコンで行われました。3.5インチのドライブが2台あるのが懐かしいです。ハードディスクが内蔵されておらず、ICMというメーカーの内蔵ハードディスクを同時に買って取り付けた記憶があります。容量は130Mだったと思いますが、当時としてはかなりの大容量でした。それでも13万円くらいしました。定価はもっと高かったです。その後後ろの55ボードに取り付ける120Mのハードディスクや外付けのものをそれぞれ取り付けたりといった記憶があります。

  当時、パソコン関係はほとんど通販で購入していました。大西ジムだとか、ステップだとか・・・。雑誌で安いところを見つけては電話注文でした。このDAそのものも30万円でステップから購入したものです。ハードディスクは阪神商会です。今考えるとずいぶん高い買い物でした。その後もいろいろと拡張していったから50万円以上投資していたと思います。よくもそんなにお金があったものだと思います。今では考えられないです。当時はバブルの余韻がまだ残っていたのでしょうね。

   中のCPUはインテルの386でしたが、その後、日本ビスコムというところだったと思いますが、ドライバー込みで売り出していたサイリックスの486互換CPUのついたボードを購入し、つけ換えました。39800円でした。すごく速くなって感激したのを覚えています。Dos版の花子のサンプル画像を描画してはそのスピードを味わっていました。

  左に見えるのはフォステクスの10センチスピーカーを使ったバックロードホーンスピーカーです。ボーカルがすごく前に出ていいスピーカーでした。

  (午前中書いたものに加筆訂正しました。当時パソコンで書いていた日記を調べ値段などを訂正しました。それにしても当時はずいぶん細かく日記を書いていたものだと思います。きっとパソコンでの入力が楽しかったのでしょうか。)



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