このページには、ニフティサーブFGALAP上で1993年1月に始まった「作者が語るこのソフト」の中の、私が担当した部分を載せてあります。この「作者が語るこのソフト」の企画をきっかけにして、私のソフト「ゆ〜いんぐ」は皆さんのご要望にこたえるべく、バージョンアップを重ねることになったのでした。私にとっては思い出深い企画の一つです。当時同じく連載をされた皆さんはどうしているでしょうか。 |
何をはじめに綴ればよいのか、いろいろ考えましたが、型通りに自己紹介と行きましょう。前にここに参加された戸田さんの形式を利用させていただきました。 JBE01434 K.Sugi の プロフィール 住 所 : 北海道十勝平野 マシンについてはこの他に妻が2カ月ほど前に購入した PC98-NS/T があるのですが、例の釧路沖地震の時に上から落ちてきた本箱に直撃され、修理代の見積(22万円なり!)を見て、ほったらかしにされております。 私の趣味の登山はハイキングのようなものですが、複数では登りません。たった一人で熊の気配を感じながら、早足に登るのが私の登山です。一昨年、東大雪山系のウペケサンケという山に登ったときも、明らかにこの山に入っているのは自分一人だと感じながら、7時間も入っていました。帰り際、熊の笹をかきわける音を聞いたときは、全く生きた心地がしませんでした。 私の音楽鑑賞の趣味は山口百恵に始まりました。最初に買ったレコードが、彼女の「パールカラーに濡れて(だったかな?)」でした。その後、廉価盤が多く出ていることをきっかけにして、ジャズに移行して行きました。 特にキングレコードのコンテンポラリーレーベルの1500円シリーズは、私をジャズのとりこにしました。ジャケットの裏には録音に使用したマイク、レコーダーなどの機器名やスペックのクレジット、そして録音現場の様子が写し出されている写真があり、私の興味をひいたのです。そしてアートペッパーの有名なセッション「ミーツザリズムセクション」を聴くに至って、ジャズとは離れられなくなりました。音楽よりもジャケットにクレジットされている機器によって録音された音そのものに感動させられたのです。 その後ブルーノートレーベルやプレスティッジレーベル等の録音の音にも魅せられました。あのルディ・バンゲルダーの音です。 私の趣味の最後に書いてあるスピーカーの箱作りは、今も音楽雑誌などで活躍されるバックロードホーンの長岡先生の影響です。中学生時代に市の図書館から借りて読んだ「マイステレオ大作戦」は本当にわくわくしながら読んだ覚えがあります。 ジャズへの指向と相まって箱作りにはずいぶんと精進しました。今まで5組ほど作製しましたが、初期に作製したフォステクスのFP206(だったかな?)を使ったスピーカーは、すばらしい音で未だにこれを越えるものを作れていません。特にサックスの音がすばらしく、アイク・ケベックのジャズレコードはこのスピーカのためにあるといえるものでした。 残念ながら、このユニットは片側のボイスコイルがいかれて、現在は箱だけになり、本箱となっています。前述した NS/T を破壊したのはこの箱です。スピーカの箱作りは最近はご無沙汰していますが、時間が許せばこれからも作製しようかと考えています。
プラモデルも結構やりましたが、組み立てることよりも分解することに大いに興味があり、電化製品でも壊れたと聞いては直すふりをして、分解していました。掃除機や電気かみそり、そしてラジオなど、案外単純な故障ばかりで、なおしてあげては、家人に驚かれることもままありました。 ブラックボックスという言葉は後になって知ったのですが、中味の知れない箱を見ると好奇心がわき起こってくるのです。当時はウルトラマンやサンダーバードなどの空想科学番組が人気があって、その中に出てくるたくさんランプの点滅するコンピュータのような機械や、サンダーバード2号のような中から更に4号が出てくるという、メカニックな構造物は、本当にわくわくするような気持ちで見ていました。 こんな私がパソコンというものを初めて知ったのは、高校生の時だったでしょうか。もちろんパソコンなどという言葉はまだなく、マイコンと言われていた時代です。どうして知ったのかは、忘れてしまいましたが、新聞の通信教育の広告に「マイコン」という文字があり、内容が紹介されていたのを思い出します。ただ機械を含めた費用がとてつもなく高く、受講はしませんでした。地方の大学に入学してからも、パソコンに対する興味は絶えず持っていました。当時創刊されたばかりのパソコン雑誌をよく立ち読みしました。
私の手元にも2冊だけ残っていますが、「一太郎」や「日本語ワードプロセッサ」などのワープロソフトの比較記事などがあります。8800シリーズワープロも全盛で、東海クリエイトの「ユーカラ」やキャリーラボの「JET88」だとか、「漢神」などの名前も見えます。私が購入しようとしていた頃はすでにパソコンの名称が定着しつつあった頃で、NECの98シリーズも出たばかりの頃だったと思います。 テレビ番組でも色々とパソコン関係のものが放送されていました。NHKのマイコン講座はテキストだけ前期と後期のものを買いましたが、番組は見ませんでした。しかし日曜日の深夜(深夜に放送したのは北海道だけではないでしょうか)に民放で放送されていた「パソコンサンデー」は熱心に見ました。宮永なんとかという博士のような人が講師で、萩尾みどり、大和田なんとかという人が司会をやっていたと思います。シャープの機種を使っていて、なかなか勉強になる、刺激的な番組でした。 新製品もこのころから頻繁に出るようになったのではないでしょうか。ちょうどNECが、pc8800マーク2を出した頃です。ちょうどそのころシャープからもMZ2200というクリーンコンピュータを標榜する機種が出ました。何がクリーンかと思ったら言語をROMで持たずに、カセットからロードするというものでした。デザイン的には野暮ったいマーク2よりはずっとかっこがよく、興味をそそられました。結局購入したのはMZの方でした。
手軽に買えるアプリケーションソフトは、全くと言っていいほど揃っておらず、ベーシックによるプログラミングがパソコンの利用の大きな目的だったと思います。簡単な足し算や合計、平均を出すプログラムを紙の上に書き綴りながら、何度もプログラムの練習をしましたし、前述のパソコンサンデーもメモを用意しながら、博士の解説を聞き、頭を悩ませました。 プログラム言語特有の書式になれるのに、ずいぶん苦労しました。単純なことも堅くなりかけた頭には、なかなか入って行かないものでした。例えばC=A+BをなぜA+B=Cと書かないのだろうとか、A=A+1は全くどういうことなんだろうかと、今まで数学で習ってきたことが、否定されたようで本当に頭を悩ませてしまいました。 このようにして、ある程度ベーシックのいろはを学んでから、パソコンがやってきましたので、セットして簡単な足し算などのプログラムを走らせたときは、満足の気持ちで一杯でした。ただこの時に感じたのですが、ただ字面だけを表示させても、さっぱりコンピュータらしくないのです。意識の底でコンピュータというのは、絵だとか、色だとか、グラフだとかそういったもの、そして動きのある画面、それらが映し出されて初めてコンピュータといえるのではないか、と感じていたのだと思います。 試しにライン文でたくさんの線や四角、あるいはサークル文で円などを表示させるとがぜんコンピュータだな、と思ったものです。こういう感覚はずっと持ち続けて、今回の「ゆ〜いんぐ」を作成するに当たっても、受け継がれていると思います。 ずいぶん前置きが長くなってしまいました。私とパソコンとのつきあいはこのように始まったのです。
何かプログラムを作ってやろうということで、たまたま参考書にあった成績処理のプログラムを考えてみました。参考書などでもよく取り上げられているもので、取りかかり易かったのですが、配列の考え方がなかなかの見込めず、ずいぶん悩んだ記憶があります。周囲にはあまりそういうことに興味のある人はおらず、パソコンに付属してきた参考書や、NHKで出したパソコン講座のテキストで勉強しました。プログラムの書式すらわからないまま、そしてシャープベーシックのエディターの機能もよくわからないまま、作業はなかなか進みませんでした。 しかし実際に参考書の通りコーディングして、ところどころ改編しながら何度も繰り返しているうちに、何かプログラミングの感覚のようなものが、わかり始めてきました。ちょうど外国語を、さっぱりわからないまま学習続けているうちに、突然、もちろん段階的にですが、わかったような気持ちになる、あの感覚と似ています。 お正月休みを使って、何とか成績処理のプログラムを完成とまでは行かないものの、ある程度の形にしました。しかしこのプログラムには大きな欠点がありました。ファイルに保存できないのと、プリントアウトできないことでした。ファイル操作の知識がなく、そこまでやる気力もなかったのでした。プリントアウトについては、単にプリンターがなったからです。 数クラス分のデータを入力し、処理をさせてみると結果を出すまでにずいぶんと時間がかかりましたが、ずらずらと一覧表になって計算結果が出てくるのを見て大いに満足しました。いっぱしのプログラマーになった気分で、自己満足で一杯でした。 それから何年かたって、昭和61年の4月に今度はもっと性能の高い、周辺機器の揃ったものということで、NECのPC8801FRを通販で購入しました。98にもしようかと思ったのですが、値段的に合わず、しかたなく88にした次第です。「ユーカラ」という当時格安なワープロソフトで有名だったものとプリンター、そしてディスプレィを合わせて、たしか27万8千円だったと思います。このプリンターはまたとてもすばらしいもので、値段が安い割に高速で、字体も24ドットでしかも感熱方式と、感激しました。同じ頃のNECのプリンターは22ドットのドットプリンターが主流で、あまり印字がきれいとはいえませんでした。このスター精機のプリンターは現在でも使用しています。もう対応してくれるアプリもなく、さびしいかぎりですが。
当初88では主にワープロとして活用しました。プログラミングもベーシックで何度か行いましたが、本格的なものはかなり後になってからです。ところでこの最東端の町はすこぶる風景の美しいところでした。秋の晴れた日など、海と牧草地、そして青い空、このコントラストが実にすばらしいのです。また冬の日の、車の通りの少ない国道沿いの木々の枝が雪がついて真っ白に凍り付き、それが夕日に照らされるのを見たときには、もうなんと形容して良いかわからないほどでした。 その日本最東端の町を後にして、私は北海道の畑作地帯、十勝平野に勤務地を移しました。ここで私のパソコンライフが花咲くことになるのですが、最初のプログラムは成績処理のツールでしたが、入力エラーにも対応しない、単に点数を入れるだけで順番に名前が印刷される本当にシンプルなツールでした。もちろんデザインも全くシンプルで、単純きわまりないものでした。この辺まではまだまだ画面出力のデザインなど、関心はあまりなく、動けばいいという考えでした。もちろんそこまで凝る力量もなかったのですが。
冬休みなど、札幌に出て電気屋さんを見て歩くのがとても楽しみだったのですが、そこで私はパソコン売り場でみたマッキントッシュの画面に引き付けられてしまいました。音楽ソフトがデモされていましたが、マウスで操作するプルダウンメニュー、そしてマウスが移動するたびに選択バーの色が変化する仕様など、実に新鮮でした。起動するウィンドウにも影がつけられていて、現在ではごくあたりまえのデザインなのでしょうが、当時、今から6、7年前には日本製のパソコンのソフトであの様なデザインのものはなかったと思います。 そのデザインが頭の中にあって、私の88でも同じ様なデザインのソフトはできないものかと考えていました。特に影付きのウィンドウについては、それほど難しいとは思いませんでしたので、いつか挑戦してみようかと思っていました。 簡単な成績処理のプログラムの後は、ある2つのデータの相関図を作成するソフトに挑戦しました。かなりスパゲッティなプログラムで再び手直しなどできないようなめちゃくちゃなプログラムでしたが、ビットマップに文字を表示させる方法、つまりグラフィック表示の初歩を勉強できました。 このプログラムは十分実用になり、その年に担当した仕事で活用することができました。今では表計算ソフトなどでもっと簡単に作成することができるのでしょうけど。 このソフトの作成途中にグラフ作成ソフトのアイデアが浮かび、すぐにそれに取り掛かりました。これもまた構造化プログラミング真っ青の、行き当りばったりのプログラムになってしまいましたが、ねらいはかなり独創的?だったかな、と思っています。どんなに独創的か、と思われるかも知れませんが、大したことはありません。ただグラフを紙に書くようにして作成するソフトだということです。 たいていのグラフ作成ソフトは数字や項目を入力し、グラフ種を選択すると、すぐに自動的にグラフ化するというもので、それはそれで便利なのですが、学習用に考えた場合項目数も目盛りの間隔も、学習者自分で数値の大きさなどから判断して決めるようにした方がよいのではないかと思ったのです。(つまりこれはcaiソフトと言うことになりますか)グラフの種類は棒と折れ線の2種類でしたがいろいろとシュミレーションできるので、グラフの作成の仕方を学ぶのにはよかったのではないかと、うぬぼれていました。 またこのソフトの作成あたりから、画面デザインに凝るようになってきました。グラフィック画面を使用して、ドット単位で文字や図形を表示できるようになると、かなりデザイン的に凝ることが可能だと知りました。デザインといっても単純なもので、単に窓の配置だとか、文字の配置、入力枠の配置などに気を遣ったという程度ですが。このグラフ作成ソフトについては学研の自作教育ソフト年鑑にはずかしながら登録させて頂いたと思います。いま考えてみればよくまああんな単純なソフトをと赤面の至りです。 その後、今度はデータベースソフトに挑戦しました。最初はdata文にデータを置くという全く手抜きのプログラムでしたが、ファイル関係の技術を学習し、ファイル上に置けるようにしました。初めてフロッピードライブの赤ランプがチカチカとついて読み書きしているのを見たときには、プログラミングの技術が一ランク上がったような、一人よがりの快感を味わうことができました。またこのソフトでは前述のマックの画面デザインに極力似せるようにしました。ウィンドウを出して、下の文字が見える程度の薄い影を表示させたり、画面上部にメニュー名を表示させたりと、いろいろと工夫しました。こういったデザイン的な設計は実に時間のかかるものでした。 このデータベースで住所録を作りましたが、データを360くらい入れたでしょうか。検索など非常に時間のかかるものでしたが、思うとおりに検索されてデータ一覧がでてきたときには、本当に感動ものでした。 こうしてどんどん自分の殻に閉じ込もって、自分の成したものに対して喜んだり、がっかりしたりということを続けていると、なんだか人間が変わってくるような気がしたのもこのころです。このソフトが完成した頃、ちょうど娘が誕生したのですが、もうこれでプログラミングは少し休もうと思いました。それに雑誌などでアプリケーションソフトの紹介記事など見ると、もう自分で作る時代ではないなと思ったものです。 そんなことでしばらくプログラミングとは離れている時期が相当ありました。先に述べたように他のアプリケーションのできの良さに圧倒されたのと、アウトオブメモリーの表示にがっかりしたこと、そしてベーシックの限界を感じたからです。ベーシックの限界と言っても、決してそこまで使ったというわけではありません。漠然ともう自分の力では限界だなと感じたまでです。88のベーシックに限界を感じたということでしょうか。マシン語をバンバン使えることができればそんなことも感じなかったのでしょうけれど。
ある事務機器メーカーのワープロでしたが、このワープロによって、私は初めてMS−DOSについて知りました。このワープロはフロッピーを立ちあげることによってワードプロセッサーが起動するのですが、おまけにMS−DOSのシステムもついてきたのです。その当時はもうすでにMS−DOSという言葉はパソコン雑誌などでは一般的でしたが、操作については全くの素人でしたので、非常に興味を持ちました。たくさんあるコマンドをいろいろと試してみては、遊んでいました。あまり理解は進みませんでしたが。そのうち、パソコンの達人のような事務の方が、転勤してこられ、ここでまた私のパソコンとアプリケーションへの関心が一段と深まりました。そして再び、プログラミングへの興味と変わっていくわけです。 事務の方の影響もあって、私は16ビットのパソコンを購入することにしました。すでにMZ2200、8801FRと2台の今となってはあまり実用的でないパソコンがありましたので、場所を取らないブック型のものを購入したのです。エプソンの286BOOKでした。現在も職場ではこの機械でvzエディターを使用して文書作成をしていますが、ちょうど画面の横幅が縦書きB5判の横幅とほぼ同じで、疑似WYSIWYG(スペルはこれでいいのかな)を体験できるというすぐれたものです? 初めて買ったアプリケーションソフトがVZエディターでしたが、このエディターは私が言うまでもなく、本当に使いやすい、機能豊富な面白味のあるソフトでした。特にスムーススクロールに大いにひかれ、スピードなど変えながら何度も試してみたのを思い出します。ただ液晶の画面でしたので、一番遅いモードにしなければ、字はさっぱり読めないのですが。 私は小学生の頃より、日記を書くのを趣味にしていましたが、私はこのエディターで日記を書いていくことに決めました。現在3年目となっていますが、便利この上ない日記帳となっています。1ファイル4カ月で、3ファイルで1年間の日記が納まるというコンパクトさ(最終的には1年間を1ファイルにまとめています)、そして何よりも検索のしやすさ。いつ誰と会ったかや、あのときお祝いはいくらあげたかなど、瞬時にして見つけるけることができるのは、パソコンならではのことだと思います。日付を一発で入れるマクロやエディットファイルを利用したレジューム機能によって、もう紙の日記帳には戻れないでしょう。ただ先週ハイ・サワーさんが書いておられた日記帳ソフトはもっと機能豊富で便利なものだということですので、今度挑戦してみたいとも思っています。
C言語の勉強はしかしながら、遅々として進みませんでした。本当に難しいと思いました。あまりにも約束ごとが多すぎると感じました。int型だとかunsignedだとか、そういった宣言の類が非常に面倒で、やはりクィックベーシックにすればよかったなどと考えたりもしました。そうして1年以上も起動画面を見るだけで終了させるという時期が続きましたが、いつまでもこんなことでは駄目だと一大決心をし、去年の正月明けあたりからボチボチと、本格的に勉強し始めました。今でもそのときの練習用のプログラムが残っていますが、四角い枠を引っ張ったり、文字を出力させたりといった、簡単なものです。カラーパレットを変更させながら、画面の色を変えたりするあたりから、やっとおもしろいなと感じるようになりました。 このツールを作成するにあたっては全く完成後のイメージはありませんでした。いつものように行き当たりばったりで、こうしたらもっときれいになるとか、ボタンはこのように引っ込めたらいいとか、試行錯誤を繰り返しながら、あくまでもプログラミングの練習のつもりで作成作業をしていました。 そうやって遊びながらというか、C言語の勉強も兼ねて進んでいる内に、私の職場にもパソコンが入ることになり、仕事でこのソフトを生かしてみたいと考えるようになりました。そのころからプログラミングも遊びではなく、仕事と成りつつあるような感じを持ってしまいました。単語ドリルは当初は単にタイプ練習のつもりだったのですが、正誤の判定をパソコンにまかせる仕様にしたり、連語の出題を新たに付加したり、また正答・誤答グラフを表示させたりと、機能はどんどん膨らんできてしまいました。
「ゆ〜いんぐ」を初めてアップロードしてから、すでに3回のバージョンアップを行っていますが、感想等を電子メールに乗せて送って下さる方には感謝しております。感想の中で一番多いのが、画面デザインについてのことです。私自身、ああでもない、こうでもないと一番苦労したところですので、おほめにあずかればうれしいものです。C言語で4096色中から任意の色を取り出すのはパレット操作をすればいいわけですが、なかなかいい色をさがすのはたいへんです。あ、そうだ。ここで皆さんに隠しコマンドを紹介しましょう。(何かわざとらしいですね。) ・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・ そろそろこの会議室に与えられた私の時間も残り少なくなってきました。最後に「ゆ〜いんぐ」の宣伝をさせてもらったりして、まったくずうずうしい作者ですが、今後とも宜しくお願いします。 <おわり> |
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